「トイファクトリー」が石川県へ!トイレ取り付けたキャンピングカーで被災地支援
トヨタ「ハイエース」ベースのキャンピングカー、国内トップシェアを誇る「トイファクトリー」(岐阜県可児市)。“走るお家”キャンピングカーには職人の技が光り、徹底したこだわりから、多くのキャンパーに愛されている。
業界屈指の規模に成長した会社のルーツはどこにあるのか、藤井昭文社長に聞いた。
創業の原点は、父親の“手作り車体”
キャンピングカーをこよなく愛し、一代でトイファクトリーを国内トップシェア企業に成長させた藤井社長。起業の背景には、幼少時代の“ある経験”があった。
4人兄弟の長男として生まれた藤井社長。5歳の頃、内装業を営む父親がキャンピングカーを一から作り上げたそうで、「気付いた時にはキャンピングカーに乗っていた。家族旅行でも、ほぼホテルや旅館に泊まった記憶がない」と当時を振り返る。
幼い頃から、緑色のキャンピングカーで全国各地を旅していた藤井社長。そのスタイルは、自身が結婚し、家族ができてからも変わらない。
しかし、当時のキャンピングカーの内装は、赤色や紫色など派手なものが多く、“なにか違うな”と思った藤井社長。実際にキャンピングカーを使っている人が作った車がほとんどなかったという。
理想のキャンピングカーを作りたい。そんな思いを強くした藤井社長は、1995年にトイファクトリーを設立。当時から徹底的にこだわったのが「断熱性」だった。自身がキャンピングカーを使っているからこそ、夏は涼しく、冬は暖かい車内を目指したのだ。
「2台目、3台目のキャンピングカーで、うちの車を選んでくれる方が多かった。乗っていただいて、『なにか違うね』と言ってもらえた。暑さや寒さ、ドアを閉めたときの静かさ…見えないところではあるが、やっぱり断熱。『トイファクトリーはなにか違うね』がいまにつながっている」(藤井社長)。
こだわりが詰まった車は評判を呼び、製造台数は徐々に伸びていった。そして今では、「ハイエース」をベースとしたキャンピングカーで、国内トップシェアを誇るまでに成長したのだ。
藤井社長は「人生の8~9割はキャンピングカーと生きている。免許証を返納するまでは乗り続ける。それぐらい好き」と笑顔で話す。
キャンピングカーを愛するのは社長だけではない。「一人で車で旅をするのが好きで、元々好きだったデザインと組み合わせたら、ここに辿り着いた」と話すのは、開発部・設計チームの角屋歩実さん。学生時代は、キャンピングトレーラーを題材にした絵本も制作。「家でも学校でもなく、第三の場所が車だと旅をしながら感じた」と笑顔で話す。
5、6年前に転職してきた設計チームリーダー・米川幸憲さんの前職は警察官だ。
「警察官時代からトイファクトリーの車を買って乗っていた。ものづくりをやりたいと思った時、社長に直談判してなんとか入れてもらえた」と米川さん。3台目となるキャンピングカーに、自作の棚を設置するほどのこだわりぶりだ。
被災地での体験がトイレカーを作るきっかけに
キャンピングカーは、レジャー以外の使い道もたくさんある。ある日、トイファクトリーの本社から3台のキャンピングカーが出発した。車の側面には「MARU MOBI(マルモビ)」と描かれている。
道の駅での車中泊を挟みつつ、岐阜県から約3時間かけて到着したのは石川県珠洲市。現地では、セレモニーが開かれていた。藤井社長が被災地・石川にやって来たわけ──。それは、トイファクトリーから珠洲市に車体を寄贈するため。
寄贈する「マルモビ」という特殊車両は、後部の8席が取り外し可能。そして、空いたスペースに設置されたのは、緊急時の仮設トイレだ。「被災地はトイレの環境がすごく悪い。元々マルモビにはトイレがなかったが、被災地での体験がトイレカーを作るきっかけになった」(藤井社長)。
元々「マルモビ」は救護室や投票所としての利用を想定していたが、能登半島地震の発生を受け、トイレが設置できるよう新たに改良を加えた。
「仮設住宅ができるまで何カ月もかかる。高齢者や子どもや女性が、一時避難できる場所にもなる。元々ある技術を使いながら使いやすさを整えて、さらによい車両を作りたい」。
最後に藤井社長は、熱い思いを語った。
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