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森繁和(左)と達川光男(右)
名参謀として中日・落合監督を支えた森繁和と元広島監督の達川光男の野球トーク。
今回は達川がバッテリーコーチとして谷繁政権に入閣した中日時代の2年間を振り返る。
達川光男が語る、谷繁兼任監督時代のコーチ就任秘話
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2014年当時の中日ドラゴンズコーチ陣
達川は2013年オフに誕生した谷繁元信兼任監督就任時に招へいされた。
同時に落合博満が球団初のGMに、腹心の森はヘッドコーチになった。
達川「ちょうどコンビニで水を買おうと思っていたら森さんから電話かかってきて(コーチを)やるぞって要請された」
すぐにOKを出した達川だったが、新監督は谷繁で兼任監督になると聞いて驚きを隠せなかったことを今でも覚えているという。
そして迎えたシーズンでは、谷繁がプロ野球の最多出場記録がかかっていたため試合に出ることが多く、その場合は自ら達川に伝えてきたという。
達川「体調が良い時に“僕(スタメンで)出ます”と言ってきた」と言い、森に報告するという流れだったと当時を振り返った。
選手兼任監督の難しさとは
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選手兼任監督の難しさについて語る森
ゲームでは谷繁がマスクをかぶった時は、森が監督代行を務めた。その際のベンチワークについては、
達川「森さんの仕事が大変だったと思う。何か(谷繁と)暗号でも作っていたのか?」
森「(捕手として)ボールを受けているのが監督。(投手を)もう代えようとかそういうのは暗号が出て、もうそろそろって準備した」と谷繁と森の間に投手交代などのサインが存在したことを認めた。
また、攻撃面の作戦は主に辻発彦内野守備走塁コーチが務めサインを出していたという。
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当時の谷繁監督の心情を慮る達川
この時のコーチ陣は森、達川を含め大半が谷繁より年長者だったため、やりにくい面もあったのではないかと指摘した。
達川「勝たなきゃいけないしコーチにも気遣わなきゃいけないし」と監督の心情を察している様子だった。
谷繫政権当時を振り返って
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バッテリーコーチ当時の指導について語る達川
この年、達川としては前年に45試合出場し、頭角を現し始めた松井雅人を谷繁との併用で起用する方針だったが、松井はけがをしたため思うように運ばず、選手としての谷繁(14年は91試合に出場)に負担がかかってしまった事を悔やんでいた。
結局、達川が中日に在籍した2年間は、4位と5位のBクラスに終わり、成果をあげることはできなかったが、2人とも谷繁にはいつかどこかで監督として再登板してほしいとエールを送った。
森「そのための準備(期間)だからね今は。自分の考えの下で野球をやろうっていうメンバーも揃ってきてるはずだからその時が楽しみだ」
達川「彼は寡黙で無駄口を叩かない人。何人かと話をしたけれどやっぱりもう一回どこかでやったらいいよなという話は出ていた。チャンスありますよ」
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