世界遺産、合掌造りの集落で知られる岐阜・白川郷。この地に、黄金とともに消えた幻の城「帰雲城(かえりくもじょう)」があったという。天正13年11月(1586年1月18日)に起きた巨大地震「天正大地震」によって山崩れが発生。津波のように押し寄せる大量の土砂が庄川を乗り越え、城を一気に飲み込んだ。
当時保管されていた黄金は数兆円ともいわれているが、どこに消えたのだろうか。
第1弾で出土した木片
第1弾の発掘調査では、戦国時代の地層があると思われる地下14メートルまで掘り進め、戦国時代の木片を発見した。第2弾の今回は、かつて飛騨市神岡町にあった同時代の城「江馬氏の館」をヒントにしながら、1カ月にわたる大規模な掘削に挑む。
▼第1弾(2017年から2019年)の様子はこちら
戦国時代に消えた黄金、地下には数兆円の金が眠っていた?【岐阜県白川村】
巨大地震によって、黄金もろとも地中に
帰雲城があったとされるのは、世界遺産で知られる合掌造りの集落から南に8キロの場所にある地区・保木脇。当時の領主は内ヶ嶋氏で、最後の領主である四代目・氏理(うじまさ)のときに天正大地震が発生。山崩れによって帰雲城は黄金もろとも地中に消えた。
戦国時代の白川郷周辺は金山が点在し、金の採掘が盛んだったという。それを裏付けるものが、高山市で19代続く岡田家にあった。
先祖が金山師だった岡田家に保管された、葵の紋の着物。名古屋城築城の際に金鯱用の金を献上し、そのお礼に徳川から贈られたものだ。
金山師の子孫 岡田忠美さん:
「徳川と鉱山の関係で、いろいろと交流はありました。この六厩(むまや)の金も(名古屋城の)金鯱に使われていた、と。その文書は残っていましたが、焼けてしまったので残念だと、父親が言っていました」
さらに金山で使われていた石臼も残っている。
当時は石の上の穴から金を含んだ鉱石を入れ、横の穴に木の棒を差し込んで粉を引くように砕いていた。この仕組みは、武田信玄を支えた「黒川金山」で使われた石臼とそっくりだ。
道具だけではない。岡田家には金にまつわる民謡も歌い継がれている。
内ヶ嶋氏は浄土真宗の信者と“同盟関係”?
民謡「千本づき」の一節
《西の山から掘ったる金は月に2回の馬で行く》
「京都の(山科)本願寺へ、金を持っていって納めると聞いています」。岡田家は、浄土真宗の総本山である京都・山科本願寺の熱心な信者。江戸時代の白川郷に広がっていた浄土真宗は、勢力拡大に向けて帰雲城の城主である内ヶ嶋氏も協力していたのだ。
内ヶ嶋氏は浄土真宗の信者と同盟関係だったのではないだろうか。
郷土史家の福井重治さんは「この地でとれた金は共有財産のようなもので、軍資金にもなっていたのでは」と推察する。内ヶ嶋氏2代目の雅氏(まさうじ)の娘が、正蓮寺(本願寺の末寺)に嫁いでいた。
しかも高山別院史資料編には、北陸で起きた一向一揆に親戚関係にあった正蓮寺の信者とともに出兵し、本願寺からお礼状までもらっていたとの記録もあるのだ。
出土品を専門家に鑑定してもらうと…
そんな埋蔵金伝説がささやかれる白川郷周辺で行った2回目の発掘調査。今回は穴の開いた木片や骨らしきものまで約110点も出土した。それぞれ、どのような場面で使われていたのか、高山市史編纂担当専門員の田中彰さんに見てもらった。
「この板は薄さが均等なんですよね。断面がきれいで、なめらかです。のこぎりで切っていますね」
田中さんは屋根材となる“くれ板材”で「のしぶき」になっていたのではないか、と推測する。
のしぶきは主に、武家屋敷の屋根に使われていた。「くれ板」と呼ばれる、木を割った表面をそのまま生かした屋根材を使い、少しずつずらしながら緻密に重ねていく工法だ。見た目が美しく、丈夫な屋根が出来上がる。
田中さんはさらに、への字に曲がった木片は「すのこ天井」を作る材ではないかと続ける。囲炉裏の煙を逃がすために、竿のように長い木材を、隙間をあけて並べた「すのこ天井」ではないか、と。
「断面を見ると、一気にバキッと折れたような感じですね。摩耗していないので、割れてそのまま。一瞬のうちに埋まってそのまま、あまり動いていないと思います」
天正大地震によって押し寄せた土砂は城を押し流したのではなく、城を上から一気に押しつぶしたのだろう。
出土したのは日本在来馬の骨か
出土した中でも特に驚いたのが「骨」だ。「小柄な馬の胸椎ではないか」と予想するのは、馬の博物館学芸員の長塚孝さん。「木曽馬に近い、日本在来馬という品種ですね」と話す。
歴史捜査でヒントにした「江馬氏館跡」にも馬屋があったため、帰雲城にも馬屋があったと考えられる。
ほかにも謎多き出土品となっていたのが、丸い穴の開いた木片。高山にある家具メーカーの飛騨産業に話を聞くと、糸車の部材ではないかとの見解を示した。
日本では古代から藤布(ふじふ)と呼ばれる織物があり、その原料となる藤の糸を紡いでいたのではないだろうか。藤布は山に自生する「藤づる」を使って制作する。非常に肌ざわりが良く、暖かいのが大きな特徴だ。
しかも藤の糸は燃えやすいため、火縄を作っていたのではないかとの噂もある。
戦国時代の屋根材に使われたであろう木片に、馬の骨、糸車の部材――。これまでは常御殿の横を掘り進めていると信じていたが、出土品や専門家の話をもとにすると、現在地から少し山側に常御殿があり、その近くの蔵に金銀財宝が保管されていたのかもしれない。
数多くの出合いと思いがけない発見が、幻の城の存在を裏付けている。消えた戦国の城「帰雲城」の眠りから覚める日は近いだろう。
※この記事は2021年5月29日に放送された番組「消えた戦国の城 弐ノ巻~黄金伝説 白川郷の秘めごと~」の内容を一部抜粋しています。
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