2013~2015年まで中日ドラゴンズでプレーし、2016~2019年までドラゴンズの二軍監督を務めた小笠原道大が、社会人時代から知る大先輩・森繁和と当時の裏話を語った。
「お前はジャイアンツを選んだんじゃないか(笑)」森繁和が指摘
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小笠原道大
2013年、FAで巨人からドラゴンズに移籍した小笠原は「いろいろあって…」と苦笑しつつ、「なかなかうまく結果が出ない中でどうするのかとなった時、まだ辞めるつもりはなかった。そこで落合(博満)さんに介入してもらって。自由契約ではなかったので、移籍するには自分でチームを出るというFAで行くしかなかった。まだ現役の道を選択するにあたってのFAだった」と明かす。
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森繁和と小笠原道大
それに対して森は、小笠原が“日本ハムから巨人に移籍した時も同じだ”とした上で、「お前はジャイアンツを選んだんじゃないか(笑)」とコメント。すると小笠原は、「その時は、最終的にドラゴンズは手を挙げていません。キャンプとかで(ドラゴンズに)挨拶に行くと『こっちに来るか』と雑談レベルで言われただけ。(移籍を考える)11月にはまったく声がかからなかった。なかなか手を挙げる球団がなく、最終的にジャイアンツが手を挙げた」と、ドラゴンズに行けなかった理由を説明した。
根尾昂、1年目の野手スタートは「一軍監督の指示」
また小笠原は、二軍監督時代、ドラフト1位で入った根尾昂が野手でスタートしたことについて、「一軍監督の指示。本人が野手をやりたいというので、その方向性でやっただけ」とコメント。
一方、自身が一軍監督を務めた最後の年となる2018年、ドラフトの前に「根尾を1位指名する」と発表した森は、「俺はその年で辞めることが決まっていた。代表に呼ばれて『根尾1位で行くことをスカウトの方でも決めたので、球団もそういう意向があることを発表してほしい。どこも言ってないから先に言ってほしい』と言われたから、甲子園の試合で練習が終わった後、カメラの前で『1位は根尾で行きます』と発表した。俺も辞めるし、関係ないかと思って(笑)」と、その経緯を明かす。
さらに森は、「その後、(本人が)ピッチャーじゃなくて野手で行きたいと言ったんだよ。俺はピッチャーで使いたいなと思ってたけど」と当時の思いも。
小笠原は、1年目の根尾を振り返って、「スイングスピードは速かった。ただ、いかんせん、当時は当たる確率が悪くて。当たればすごい飛距離はあったけど、まだプロ野球の体になっていなかった。ポテンシャルはあったから野手で行ったけど、結局は森さんの見立て通り、ピッチャーでやっている。これからもケガせずに頑張ってほしい」と語った。
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