森繁和×辻発彦 昭和時代のパ・リーグ球場の思い出を語る 前編

ドラゴンズ

  • 森繁和(左)と辻発彦(右)

西武黄金時代の名投手・名選手だった森繁和と辻発彦が今は無くなった昭和時代のパ・リーグ球場の思い出を語った。

大洋やロッテが本拠地として使用していた川崎球場

  • 川崎球場の思い出を語る森

古くは大洋やロッテが本拠地として使用していたのが川崎球場。

森は1976年にロッテからドラフト1位指名を受けるが入団を拒否。

その後、西武に入団。西武のユニホームを着て球場を訪れるたびに「結構ヤジられたことを覚えている」という因縁のある球場だった。

そんな森でも「ラーメンはおいしかった」と笑う。どうやら出前のラーメンが楽しみだったいうが、辻は「それは投手陣だけ、試合前は(野手は)クラッカーしか食べていない」と違いを披露。

食事制限を選手に徹底させた当時の広岡監督だったが投手陣には甘かったのかもしれない。

  • お客さんを数えられたと語る森

川崎球場といえばテレビの番組でカップルのキスシーンや流しそうめんをしているシーンなどが映し出され話題になったところ。

森も「お客さんが数えられたもんな」と指摘していた。

また、ライトスタンドまでの距離が狭いのも特徴の一つで右打者の辻は「とは言っても、フェンスが高かったから打ち上げないとなかなかホームランが出ない。落合さんはフライをあげるのが得意だからホームランを量産していた」と振り返っていた。

近鉄が本拠地にしていた藤井寺球場

  • 藤井寺球場でのヤジについて語る辻

次は1950年から近鉄が本拠地にしていた大阪の藤井寺球場。周囲が住宅地のため鳴り物応援は禁止だった。

森「もう本当に(関西人の)ヤジは強烈だった」と笑う。

その内容も『きのう繁華街で見たで~』などプレーには関係ないものばかりだったらしい。

辻「このやじがまた面白いんですよね」と返すと、森は「確かに。投げようとする時に言われると(笑えて)キツイ」と言う。

関西の土地柄かヤジの強烈さには選手たちも苦労させられたようだ。

南海ホークスが本拠地にしていた大阪球場

  • 森が初勝利を挙げた大阪球場

大阪には藤井寺球場以外にも南海ホークスが本拠地にしていた大阪球場があった。大阪球場は森にとってプロ初勝利をあげた縁の良い球場でもある。

森「スタンドの角度がすごくて(観客が)落ちそうに見える球場だった。当時の南海はまだ強かったから勝てるとは思わなかったけど」

と振り返った。

初勝利の1979年は西武が出来て1年目森の初勝利も開幕から1カ月以上経過してからだったことから、やっとチームに貢献できたことの喜びが大きかったと話していた。

辻の思い出は社会人時代にしたエラー。

所属していた日本通運が日本選手権に出場した時に試合で二塁フライを落球したのだとか。

辻「フライは得意だったけれど、その時は風にやられた覚えがあって」。

昭和時代に愛された球場はレジェンド二人の記憶には今も残っているようだ。

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